A3サイズ和紙 モノクロ印刷 白描画 本来、阿修羅(アスラ)は、善神とされるが、サンスクリット(梵語)では、「ア」が、否定の接頭語を意味することから次第に帝釈天の台頭に伴いヒンドゥー教でも、悪者としてのイメージが定着したと考えられている。
また、中国においても「阿」の文字は蔑称の意味合いを持つため「修羅」と表記されることもあった。仏教に取り込まれた際には仏法の守護者として八部衆に入れられた。
阿修羅は帝釈天に歯向かった悪鬼神と一般的に認識されているが、前述のように阿修羅はもともと天部の神であった。
阿修羅の一族は、帝釈天が主である「とう利天」に住んでいた。阿修羅には「舎脂」という娘がおり、いずれ帝釈天に嫁がせたいと願っていた。
しかし、その帝釈天は「舎脂」を誘拐して犯した。それに怒った阿修羅が帝釈天に戦いを挑むことになった。
阿修羅は道義的には間違っていないが、その後、娘の「舎脂」が帝釈天の正式な夫人となっていたのに、戦いを繰り返すうちに『許す心』を失っていった。
つまり、たとえ正義であっても、それに固執し続けると、善心を見失い、妄執の「悪」となることを説いている。
このことから、仏教には『聖戦はない』ということになる。
六道思想では、天界を追われた阿修羅の住処として修羅界が加えられ、常に闘う心を持ち、その精神的な境涯・状態の者が住む世界、あるいはその精神境涯とした。
阿修羅を意訳すると「非天(天にあらず)」となるが、これは、阿修羅の果報が優れて天部の神にも似ているが、天には非ざるという意がある。
この図は、国宝・六道絵の阿修羅道幅より羅喉阿修羅王(三面四臂)を抜粋した。ちなみにこの阿修羅道幅には、他に婆稚阿修羅王、華鬘阿修羅王等が描かれている。