A3サイズ和紙 モノクロ印刷 白描画鎌倉から室町時代に五山の禅僧の間で言い出されました。所伝によりますと、鎌倉時代の仁治二年(1241)、京都東福寺の開山聖一国師円爾弁円が宋から帰って九州博多の崇福寺に住した時、夜に道真公が現れ禅を問いました。国師は、自分の師である宋の径山の仏鑑禅師無準師範を師とするよう答えましたところ、直ちに宋に渡り禅師に参禅し、衣鉢を受けて帰り、再び国師の前に現れ、与えられた法衣を見せたといいます。この話に基づいて多くの渡唐天神の像が描かれました。手に梅の小枝を持ち中国風の服装が渡唐天神画像の特徴です。現在では、留学生のお守りとして信じられているようです。